雨宿り

 季節は夏。広大な土地いっぱいに青々と茂る牧草は腰の高さを超えるほどにまで伸び、日差しを照り返して輝く草むらの中を、立ち昇る甘くみずみずしい香りを楽しみながら歩いていく。本来ならばそういう季節だ。
 ここ数日降り続いた雨でぬかるんだ地面からは、じめじめと陰気な悪臭が漂ってくる。足元では生育の止まった牧草が力なく項垂れ、葉には茶色の斑点が浮かんでいる。ここもいずれ毒の沼地に変わってしまうだろう。ミヒャエルはため息を吐きながら歩いて行った。
 灰色の雲が空を覆い、夏だというのにうっすらと肌寒い。高地育ちのミヒャエルには過ごしやすい気温だったが、こうも太陽を拝めない日が続くと、流石に気が滅入ってきた。
 日照時間は日に日に短くなっている。天候の悪化だけではなく、実際、太陽が高く昇らなくなり、日の出ている時間そのものが短くなっていることに鋭い者は気付いていた。ラダトームの城からローラ王女が攫われてからの半年間は、多少の天候不順はあったものの、大きな気象変化を感じる程のものではなく、ローラ王女と共に光の玉が奪われたことを知る者以外、誰もこんな事態は想像もしていなかった。
 思い返せば空の変化が大きくなり始めたのは、ちょうどミヒャエルがラダトームに参じ、王から竜王討伐の命を受けて旅立った頃だった。夏に向かい明るさを増していくはずの空には、どんよりと厚い雲が立ち篭める日が増え、作物の生育が遅れ始めた。
 ミヒャエルは思った。竜王が発破をかけているのだ。さあ勇者よ、早く会いに来いと。
 そう急かすな。ミヒャエルは苛立ちを振り払うように、突然素早く腰の剣を鞘から引き抜いた。早足で進む歩みを止めること無く、剣を鋭く天に振り上げると、頭上から襲ってきた魔物をほとんど姿勢も変えないまま真っ二つに叩き斬った。降り注ぐ血飛沫を無視して剣を再び鞘に収める。手応えからしておそらくキメラの類だろう。くだらない。背後で地面に落下する魔物の死骸に目もくれず、ミヒャエルは歩き続けた。
 しかし数歩も行かないうちに、何を思ったかミヒャエルは突然ぴたりと立ち止まると、くるりと踵を返して死骸の落ちている場所まで歩いて戻った。じっと見下ろして羽と胴体の色を確認する。既に塵に帰りかけているその体は、キメラより少し赤みを帯びている。
(メイジキメラ。)
 それだけ確認すると、骸に背を向けてミヒャエルは再び歩き出した。
 小さな体で命知らずにもロトの血を引く者に一対一の勝負を仕掛けてきた勇敢な戦士を、“有象無象の魔物”として葬りかけた自分に嫌悪を覚える。ミヒャエルはこのところ一進一退の旅路に苛立ちと焦りを感じていた。更にそれに追い打ちをかけるように、天候が急激に崩れ始めている。
 勇者よ何をぐずぐずしている、早く来い。そんな竜王の嘲笑う声が聞こえてくるかのようだ。
 ぐずぐずにぬかるんだ地面から跳ね返る泥に、ミヒャエルは顔をしかめながら歩く。深くため息を吐き、ふと目を上げて見ると離れた小高い場所に人家らしき建物があることに気付いた。山育ちの目を凝らして見ると、遠目にも荒れた様子がなんとなくわかった。おそらく家主はこの場所に見切りをつけて家を手放したのだろう。ミヒャエルは再び深くため息を吐いた。食料は期待できないだろうが、まだ何か役に立つものが少しは残っているかもしれない。一応見に行ってみようと、ミヒャエルは丘を登る道を泥に足を滑らせながら進み始めた。
 ミヒャエルはこれまでの旅の途中、見切りをつけられ放棄された土地を何度か目にしてきた。砂漠の町ドムドーラに至っては、人がいなくなったのをいいことに、恐ろしく強い魔物たちが完全に占拠してしまっている始末だ。このまま太陽がへそを曲げた状態が続けば、いずれはアレフガルド全土から人がいなくなってしまうかもしれない。たった一人の勇者の末裔が、アレフガルドを救ってくれる“かもしれない”日をいつまでも信じて待っているほど、人々はお人好しでも馬鹿でもない。いつかは自分も見切りをつけられるだろう。
 別に人に見捨てられたからといってどうということはない。ミヒャエルはこれまでだって独りで生きてきた。誰からも望まれなくても、アレフガルドで最後の一人の人間になったとしても、竜の王と相見えるその日まで戦い抜くつもりでいる。しかし、もしもその竜王にまで見限られたとしたら……。ミヒャエルは、ただそれだけが恐ろしかった。
 ゴーレムごときに手こずっている私に、竜王は何を思うだろう。丘を登りながらミヒャエルは歯を食いしばった。日はまだ高くにある時刻のはずだが、空が急激に暗くなり始めている。にわかに強く吹き始めた風が、泥とメイジキメラの血で汚れたマントをはためかせる。空から地上に雫が落ち始める前に屋根の下に辿り着きたい。ミヒャエルは深いぬかるみに足を取られないよう気をつけながら歩みを早めた。
 ミヒャエルが丘の家に辿り着くやいなや、大きな雨粒が落ち始め、あっという間に辺りは雨音に包まれた。家の鍵は開いていた。中に入ると、屋根のところどころが雨漏りしていてかび臭かったが、とりあえずここにいればびしょ濡れにはならずに済む。ミヒャエルはカビの生えていない乾いた場所に荷物を下ろすと、雨漏りを避けながら家の中のものを物色し始めた。予想はしていたが、家の中にはほとんど何も残されていなかった。かろうじて箪笥に残されていた着古した布の服も、カビが生えていて売り物にもならなそうだった。台所の金物にはサビが浮き、穴が開いている。本棚も調べて、湿ってくっついた本のページを剥がしながらめくってみたが、特に珍しい書物は見当たらなかった。ミヒャエルは少しがっかりしてまたふうっと溜息をつく。油断した瞬間、雨漏りが脳天に直撃した。慌てて乾いた場所に飛び退き、ふと我に返る。ミヒャエルは無意識に“金目の物”を探していた自分に気づいて、思わず苦笑した。まあ仕方がない。路銀は必要だし、綺麗事だけでは勇者はやっていけない。もっとも、ミヒャエルはこれまで一度も綺麗事を述べたことなど無いし、旅立った動機すら正義の為でもなんでもなく、ただ竜王と戦ってみたいからという不純なものだったわけだが。
 ミヒャエルはもう家の中に目ぼしいものは無いとあきらめて、おとなしく荷物のそばに腰を下ろした。地面をひっきりなしに叩く雨音と、ぼたぼた滴り落ちる雨漏りの音が響く中、ミヒャエルはぼんやりと薄汚れた窓の外を眺めた。突然稲光が走り、暫く間を置いて、遠い西の空で雷鳴が轟いた。窓枠の中の茶色く煤けて生気を失った風景に、雨はなおも容赦なく追い打ちをかける。この土地を捨てた家主の判断は正解だろう。だが、土地を捨て他所へ移るものがいる一方で、信じられないことに真逆の選択をするものもこの世には存在する。
 城塞都市メルキドの民は、外界を見限り、内へ篭もるというとんでもない道を選んだ。街を封鎖し、外部との交流を完全に絶ってしまったのだ。信じがたいことだが、詳しい者の話しによれば、街の中では自給自足の暮らしが成り立っていて、人々の生活は全て壁の内側で完結してしまうのだという。こうなってくると、メルキドはもはや都市というより一つの国と呼んでも良い気がしてくる。
 都市をぐるりと囲む巨大な壁は、どうあがいても空でも飛ばないかぎり越えることは不可能。街の唯一の出入り口である正門前には、聳え立つ巨大なゴーレム。このゴーレムというのが厄介で、なんでもメルキドの住民の命令以外は、いかなるものの命令や願いであっても聞き入れないのだという。ミヒャエルはなんとか街に入ろうと頑張ったが、壁越しにいくら叫ぼうが喚こうが中からの返事はなく、強行突破を試みるもゴーレムの強大な力に阻まれ、門に手をかけることすら叶わなかった。おそらく、外で待っていたところで中から人が出てくるということもまず無いだろう。そんなのを待っているくらいならその辺でレベル上げでもしていた方がましというものである。
 しかし、いくら戦いの経験値を積んだところで、あのゴーレムと渡り合える程にまでレベルを上げるとなると、一体どれくらいの時間がかかるやら皆目わからない。それほどゴーレムの力は圧倒的だった。何か別の解決策を見つけるか、街へ入ることを諦めてしまったほうが良いだろう。
 だがそう思う一方で、あのゴーレムを何としてでも倒さなければいけないのではないか、という考えも抜けきらなかった。ゴーレムごときに足止めを食らっているようでは、竜王になどとても立ち向かえない。ここは時間をかけてでも、ゴーレムを倒す実力を身につけるべきなのではないだろうか。
 しかし、悪化し続ける天候がそれを許さない。のんきにゴーレムと戯れている間に世界が完全に闇に包まれてしまっては、元も子もない。そうこうしているうちに竜王にも呆れられ、見限られてしまうだろう。
 ミヒャエルは頭を抱えて今日何度目かわからない溜息をついた。完全に行き詰まっているじゃないか。ミヒャエルは初めて、誰かのアドバイスが欲しいと思った。しかし孤高の生き方をしてきたミヒャエルに、思い浮かぶ相談相手などいない。プライドも邪魔をしていた。
 ミヒャエルは溜息つきついでに、唇を細めて口笛を吹いてみた。口笛の音は雨音にかき消され、自分の耳にもかすかにしか聴こえない。「口笛を吹くと魔物が寄ってくる。」そんな話を聞いたことがある。しかし、外からは雨音と時折轟く雷鳴が聞こえてくるばかりで、魔物の気配など少しもなかった。わかっている、口笛なんかで魔物が呼べるならいくらでも吹くさ。そんな都合のいいことがあるわけがない。
 ミヒャエルの胸がちくりと痛んだ。弾くだけで魔物を呼び寄せることが出来る、そんな素敵に都合のいい楽器が、この世には本当に存在する。存在したのだが、少し前に訳あって手放してしまった。ミヒャエルは口笛の音程を少しずつ変えながら、どの高さの音が雨の中で一番良く聞こえるのだろうなどと、くだらないことを考えながら気を紛らわせた。
(何か楽器がほしいな。)
 素朴な思いが胸に湧き上がった。楽器ならやはりガライの町だろうか。この雨が止んだらガライに行こう。
 何の解決にもなっていないが、ミヒャエルは心を決めて、そうと決まれば雨が止むまでの暇つぶしに、と本棚に向かった。
 ざっと背表紙のタイトルに目を走らせる。すると、物語風のタイトルが並ぶ中に、先ほど物色したときには気が付かなかった一風変わったタイトルが目に留まり、そのくだらなさに中身も見ていないのにミヒャエルは思わず笑ってしまった。
『温泉街マイラの歩き方(大人編)〜ぱふぱふ徹底攻略〜』
 ミヒャエルは手を伸ばすと、ぱふぱふ徹底攻略は無視して、隣りにあった本を取り出した。“音楽隊”と付いたタイトルに心を惹かれてページをめくる。これまでの人生であまり読書には馴染みの無かったミヒャエルは少しわくわくした。内容は子供向けらしいが暇つぶしには丁度いいボリュームだろう。しかし「大人編」の隣に子供向けの本とは……ここの元家主は一体どんな人物だったのか、全くもって謎である。
 雨脚は更に強まり、稲妻が光ってから雷鳴が轟くまでの時間差が段々短くなってきた。ミヒャエルは気に留めず本に没頭していたが、近くの樹に雷が落ちた時にはその閃光と轟音に流石に飛び上がった。竜王の咆哮も近くで聞いたらこんな感じなのかもしれないな。この程度の雷で驚いていてどうする。そんなことを考えながら、ミヒャエルは半ば修行感覚で本を読むことに再び集中する。
 雨は弱った土地に更に爪痕を刻みながら、駆け足で通り過ぎていった。雨音が幾分柔らかくなった頃、ミヒャエルは物語を読み終え、本を床に叩きつけたい衝動を堪えていた。
(音楽隊、結局出てこなかった。)
 理不尽なタイトル詐欺というものを知り、一つ大人になったミヒャエルはそっと本を本棚の元の位置に戻した。ミヒャエルは今の自分の状況を思って苦笑する。放棄されたとはいえ他人の家に勝手に上がり込んで居座り、家の中のものを漁った自分が、物語の登場人物たちと重なる。まるで息をするように家探しをしてしまう自分が、本当に勇者ロトの末裔なのかと自分で自分に呆れる。
 そしてミヒャエルは、本を戻したついでにその隣の本に手を伸ばしかけて、ちょっと迷ってやっぱり手を引っ込めた。なんとなくこれに手を出したら負けな気がする。
 東の空へ遠ざかっていく雷鳴を聞きながら、ミヒャエルはくしゃみをした。夏にしては流石にちょっと寒すぎる。ミヒャエルはちらっと本棚に目をやって、次の行き先をガライからマイラに変更することに決めた。ぱふぱふは置いておいても、温泉にゆっくり浸かって疲れを取るというのは悪く無い。マイラには色々と工芸品もあるから、良い楽器も手に入るかもしれない。その後ついでにリムルダールまで足を運んでみるのも良いかもしれない。メルキドとは真逆の方向だが、意外な場所で何か解決の糸口が見つかるなんてこともなきにしもあらずだ。焦っても仕方がない。なるようになるだろう。意外な所に安住の地を見つけてそこに落ち着いてしまった“音楽隊”を思い出しながら、そんなことを考える。読書は良い刺激になったらしい。ミヒャエルは少しだけ吹っ切れていた。
 雨が止み、外へ出てみると、久しぶりにほんの僅かだが雲の切れ間から太陽の光が差し込み、天と地上を繋ぐ一本の梯子を作っていた。その昔、勇者ロトはこことは別のもう一つの世界からやって来たという。あの光の梯子の先が別世界へと繋がっているのだろうか。そんなことをちょっと考えてみて、自分で馬鹿馬鹿しくなりミヒャエルはふっと笑った。ロトの伝説なんて、話の八割くらいは作り話だろう。伝説なんてそんなものだ。
 一羽のキメラが空を北へ向かって飛んで行く。ミヒャエルはなんとなくその姿を見送りながら、先ほど斬ったメイジキメラのことを思い出す。相変わらず魔物たちは律儀に一対一の戦いを挑んでくる。ミヒャエルは既にメイジキメラ程度の相手なら先ほどのように瞬殺してしまえる程の実力を身につけていたし、不意打ちにも瞬時に対応出来るようになっていた。余程の力のある魔物でもなければ一対一ではミヒャエルの方に分がある。それでも尚、魔物たちは束になって襲っては来なかった。恐らくそれが竜王の流儀なのだろう。つまり、魔物が単独で襲ってくる間は、まだミヒャエルは竜王に見限られてはいないということだ。ミヒャエルは自分に言い聞かせる。ここで焦っては竜王の思う壺だ。落ち着いて確実に歩を進めればいい。
 ミヒャエルは竜王の城が聳える方角の空に向かって呟いた。
「せいぜいそこで焦れていろ、竜王。」

 竜王は玉座でくしゃみをして言った。
「少し寒くしすぎたかな。」

光の玉が奪われたことによる(と思われる)影響と、メルキドについての自分なりの解釈(かなりとんでもない解釈だな)をまとめておきたかった話でした。
しかし私はどこまで竪琴の話を引きずるつもりなのか……。
多分ロッコとナナの話を書くときにでもまたぶり返すんだろうな……(笑)
銀の竪琴もっと遊んでおけばよかったな〜とリアルに後悔したので、次にドラクエ1やるときはギリギリまで引き換えないで遊び倒そうとか思ってます。