ゴーレム

 妖精の笛の効果は絶大だった。ミヒャエルが笛を吹き始めるとすぐに、ゴーレムの動きが鈍くなり始めた。のろのろと繰り出される巨大な拳を避けながら、ミヒャエルは笛を奏で続ける。
 ゴーレムは地面に拳をつき、座り込んでまどろみはじめた。このまま笛を奏で続ければ完全に眠ってしまいそうだ。ゴーレムの巨体の脇から、メルキドの町の唯一の入口である門が覗いている。
 しかし、ミヒャエルは突然ぱたりと笛を吹くのをやめてしまった。すると途端にゴーレムがピクリと動き、再びのろのろと立ち上がった。半分見えていたメルキドの門は、再びゴーレムの巨体の後ろに隠されてしまった。
 ミヒャエルは笛を構えながら、抑えきれない衝動と戦っていた。鎧の下で心臓がどくどくと脈打っている。意識が笛から腰に提げた剣の柄へと移っていく。
 馬鹿な考えを起こすな。一度戦って、手も足も出なかった。勝ち目がないことは分かっているじゃないか。
 ミヒャエルは自分に言い聞かせるように二、三度深く息をして、再び歌口に息を吹き込んだ。音が少し震えている。自分を制しようとする理性とは裏腹に、ミヒャエルの赤い瞳は何かを探すようにゴーレムの巨体に舐めるような視線を這わせていく。ゴーレムの頭ががくんと項垂れた瞬間、笛の音が大きく乱れた。歌口から離れた唇から笑い声が漏れる。
 ああ、見つけた。
 ミヒャエルはおもむろに笛を袋にしまうと、衝動の赴くまま剣を鞘から引き抜いた。兜の中で鼓動の音が大きく鳴り響いている。ミヒャエルは目を細めて目の前の御馳走を眺めた。結ばれた唇の端から舌先が覗き、反対側の端へと唇を切り開くようになぞっていく。開かれた唇から白い歯がこぼれ、ゆっくりと裂けるように笑みが広がっていく。こうなるともう彼を止められるものは何もない。妖精の笛はゴーレムを眠らせることは出来ても、ミヒャエルの中に潜む聞き分けのない獣を眠らせることは出来なかった。
 徐々に俊敏さを取り戻し始めているゴーレムに向かって、ミヒャエルは迷うこと無く突っ込んでいった。ぞくぞくと得も言われぬ悦びが全身を駆け巡る。つい昨日まで抱えていた悩みや焦りなど、夢のなかの出来事だったかのように何処かへ遠ざかっていく。
 ゴーレムが拳を振り上げた。一度戦ったから動きの癖は分かっている。ミヒャエルは拳が振り下ろされる瞬間にタイミングを合わせて後ろに飛び退くと、地面に拳が叩き込まれる反動に合わせて地面を強く蹴り、ゴーレムの巨大な拳に飛び乗った。上手くいった。振り落とそうと腕を振り上げるゴーレムの上でバランスを取りながら、ミヒャエルは勢いに任せて強引にゴーレムの腕を駆け上る。そしてミヒャエルは半ば空中に放り投げられるような形になりながらも、ぎりぎりのタイミングで体をひねってゴーレムの頭上高く飛び上がった。
 ぎらりと怪しく光るミヒャエルの赤い瞳が、ある一点を捉える。ゴーレムの頭部、右目の上、顔を構成する岩と岩の僅かな隙間。ゴーレムが笛の音で船を漕いでいる間に目ざとく見つけたその一点に、ミヒャエルは落下の速度を利用して、渾身の力で剣を振り下ろした。
 砕け散った岩、刃こぼれした剣、弾け飛んだ兜が宙を舞うのを眺めながら、ミヒャエルは笑い声を上げた。自身の体も宙を舞っている。ゴーレムの反撃の拳が飛んでくる。避けきれないことは初めから分かっていた。ミヒャエルは成すすべなく仰向けに地面に叩きつけられた。目を開けると、とどめを刺そうと拳を振り上げて見下ろすゴーレムの頭の一部が、えぐれるように崩れて欠けている。全く歯の立たなかったゴーレムに、ついに一矢報いてやったのだ。嬉しくて、楽しくて、ミヒャエルは笑い続けた。笑う度に折れた肋骨がはらわたに食い込んでも、自分の吐き出す血にむせても笑い続けた。
 ゴーレムの拳が降ってくる。ミヒャエルはすんでのところで跳ね起きて、転がるように身を躱した。拳が地面に叩きこまれ、大きく振動する。反動で宙に浮いた体をくるりと翻して立て直すと同時に、地面に突き刺さった剣を素早く引き抜いた。ゴーレムが再び大きく拳を振り上げる。ミヒャエルはその動きをしっかりと見つめながら、振り下ろされるまでの僅かな隙にベホイミの呪文を唱え、傷を癒やす。冷静にタイミングを合わせて拳を避ける。反動を利用し、再び飛び上がる。
 ゴーレムの攻撃は実に単純だ。やはりそこが人の作り上げた魔物と自然に生まれた魔物の違いだろうか。自然界の魔物にはストーンマンやゴールドマンといった、ゴーレムとよく似た魔物が存在する。ゴーレムはそれらの魔物に似せて人が作ったものと思われるが、それらより遥かに大きく力も強い。しかし、ストーンマンなどと違い、ゴーレムはこちらの予想外の動きを突然するといったことがほぼ無いのだ。問題は、巨体に似合わない俊敏さだ。どんなに動きを予測できても、それについて行けないのでは意味が無い。
 ミヒャエルは再びゴーレムの腕の上を駆け上がる。ゴーレムが腕を振り回し、ミヒャエルは大きくバランスを崩しながら剣をゴーレムの肘の接合部に突き立てた。嫌な音を立てて今にも折れそうになる剣先に、ねじ込むように魔力を流し込み、呪文を唱える。てつのさそりとの戦闘の中で編み出したミヒャエルの得意技だ。ゴーレムの肘から閃光と炎が吹き出すのと同時に、一気に引き斬る。魔力を帯びて一瞬強化された剣は、折れること無く形を保っている。流石に切断までには至らなかったが、肘周りの岩がいくらか欠け崩れた。これで攻撃力が少しは下がる事を期待したが、地面に降り立ったミヒャエルに間髪入れずに拳が飛んできて、ミヒャエルの体は大きく後ろに弾き飛ばされた。ミヒャエルは再び地面に叩きつけられ、兜が無いために先程より更に大きなダメージを受けて気を失いかけた。上から叩きつける攻撃だったら死んでいたところだが、腕を大きく振り回すような一撃でかなり遠くまで弾き飛ばされたことが幸いし、城壁から一定以上の距離は決して離れないゴーレムが追撃してくることも無かった。
 ミヒャエルはゆっくり立ち上がると、再び舌舐めずりをしながらゴーレムを見上げた。額からどくどくと流れる血を気にも留めていない。戦いそのものがミヒャエルにとっては麻薬だ。痛みすら全て快感に変わり、頭は冴え渡り、細められた目は次に狙うべき箇所を楽しげに探っている。息を整え、狙いを定めてミヒャエルが再び走りだそうとした時だった。
 突然、ゴーレムの動きがピタリと止まった。その後ろで、明らかにゴーレムのとは違う、何かが動く重い音がする。
 ミヒャエルが驚いて見ているうちに、固く閉ざされていたメルキドの門がゆっくりと開いていった。

 中から出てきた数人のメルキドの住人たちに取り囲まれ、ミヒャエルは質問攻めにあった。それも当然だ。決して人を襲わないはずのゴーレムが何故かミヒャエルを襲った。しかも、ミヒャエルはゴーレムの力に押されつつも、まともに戦っていたのである。ゴーレムとまともに戦える人間など果たしてこの世に存在するであろうか。ミヒャエルは何度も同じ質問に「いいえ」と答える羽目になった。魔物の手先、あるいは魔物そのものなのではないかと疑いをかけられてしまったのだ。
 質問攻めにあううちに、ミヒャエルは段々頭がぼーっとしてきた。戦いの興奮から覚め素面に戻った途端に、痛みと疲労がどっと押し寄せて来たのだ。
「あんた、話を聞いているのか?」
 気のない返事を繰り返すミヒャエルに、住人が強い口調で詰め寄る。
「いいえ」
 ミヒャエルはぼんやりと答えた。
「おい、ふざけるなよ!」
 住人が今にもミヒャエルに殴りかかりそうになる。その剣幕に驚いて、ミヒャエルはびくっと思わず身を竦めた。魔物に対しては百戦錬磨のミヒャエルだが、人間からの敵意には慣れていない。しかしそのとき一人の老人が、鼻息を荒げる住人を制して口を開いた。
「お前さんがゴーレムと渡り合えたのはもしや……お前さん、もしや妖精の笛をお持ちかね?」
「はい」
 住人たちがにわかにどよめいた。老人が目を細めてミヒャエルをじっと見つめる。杖をつきながらゆっくりとミヒャエルの前に進み出た老人に、ミヒャエルは妖精の笛を取り出して見せた。住人たちが息を呑む。
「ほう……確かに、本物のようじゃ……。」
 そして老人はミヒャエルの目をじっと見て、尋ねた。住人たちがじっと固唾を呑んで見守っている。
「これを手に入れられたということは、お前さんは、ひょっとして……勇者ロトの子孫ではないのかね?」
「はい」
 メルキドの住人たちが、わあっと一斉に歓声を上げた。口々に何か騒いでいるが、何を言っているのかよくわからない。わけもわからないまま住人たちにいざなわれて門を潜り、そういえば兜はどこへやってしまっただろうなどとぼんやり考えていると、老人がミヒャエルの顔を覗き込んで言った。
「それにしてもお前さん、ひどい怪我だが大丈夫かね?」
「……いいえ。」
 ミヒャエルは力なく答えた。

やっとまともに戦ってるところを書けました……。書き終わったらどっと疲労が!寝る!(ぴろぴろぴっぽっぱ〜♪)